デルフォイの神託

IBMのWatsonが質問応答タスク(その出力において少々特異な形態ではありますが)において世界の頂点に立ちました。まさに、画期的ーーいや、この言葉は軽々しき使われ過ぎているので、言い換えると、まさにある種の時代を区切る出来事であったと思います。質問応答は、基本的には、ある時点(現在)以前の「事実」に関する問いに解答するというものです。その点において、後出しじゃんけんのようになってしまいますが、正直に申し上げて、質問応答システムがいずれ人間を破ることは自明なことと思っていました。これは決してIBMのエース研究者を乏しめるものではなく、そもそも極めて広範な質問に対する回答を要求されるタスク、すなわち極めて大規模な知識を仮定しなければいけないタスクにおいては、本来的に人間は機械に対して不利な立場にあると言わざるをえないと思っています。

さて、質問応答の次の目的地はどこでしょうか。先に申し上げたように、現在の質問応用はある時点以前の事実に対する回答を提供します。では、次に質問応答がすべきことは単純ですーーある時点以降の予測される事実に対する回答を提供することです。これは本質的に、自然言語処理研究者のみならず機械学習の分野で極めて盛んに検討されているもので、予測したい現象に何らかのモデルを仮定し、パラメータをアンケートや気象観測値、経済指標などを用いて、さらにそのモデルで計算を行うことによって解を得るものです。昨今話題の電気の消費量に関しては、当該地域の天候や曜日等から翌日の消費量について一定の予測を立てることが可能でしょう。

このような質問応答システムを突き詰めると何になるでしょうか?私はある種の予言、具体的にはデルフォイの神託のようなものになると思っています。もちろん、我々は数理的な予測モデル上で大規模な計算を行い、人間の知的機能を模倣することになります。少なくとも、要素に還元できるようなアーキテクチャであったとしても、疑問ーーというよりは悩める何人(なんぴと)に対して何らかの解を与えることができる機械は、もはやある種の神託ではないかと思います。

その実現可能性や社会との折り合いなど問題は多々ありますが、この神託(予言)を発する質問応答器というのには、工学の範疇を越えた面白みを感じています。